第5回 決断

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― 東京を離れ、福岡へ戻ると決めた日

大学生活も終わりが見え始めた頃、私は進路について悩んでいた。
このまま東京に残るか、それとも地元・福岡に戻るか。頭では整理しようとしても、
気持ちはなかなか一つに定まらなかった。

正直に言えば、「もう少し東京にいたい」という思いは強かった。
初台での生活にも慣れ、アルバイトをしていた不動産屋の仕事も面白くなってきていた。
商店街の人たちとも顔なじみになり、気づけば自分の居場所のような感覚もあった。

周囲の人たちは、私がそのまま不動産屋に就職すると思っていたようだ。
確かに規模としては小さな会社だったが、だからこそ意思決定は早く、現場で思い切った仕事ができる。
経営者の近くで働ける魅力もあった。
中小企業に関わりたいという自分の思いにも、ある意味では合っていたのかもしれない。

だが一方で、もう一つの思いが消えなかった。
「中小企業と関わる仕事がしたい。それも、生まれ育った福岡で」という気持ちである。

大学で学んだ中小企業論、そして中村秀一郎ゼミでの経験を通じて、私は地域企業の重要性を強く認識していた。
そうであれば、自分が関わるべき場所はどこなのか。
東京で働くのか、それとも地元に戻るのか。
その問いは、単なる勤務地の選択ではなく、自分の生き方そのものを問うものだった。

福岡に戻るとすれば、選択肢はある程度絞られていた。
福岡銀行、西日本銀行、そして福岡相互銀行。いずれも地元では有力な金融機関である。
その中で私が強く惹かれたのは、福岡相互銀行だった。

理由は明確だった。
当時の福岡相互銀行は、オーナー色の強い銀行であり、特にベンチャー企業の育成に力を入れていることで知られていた。
中小企業の成長に真正面から向き合おうとしている姿勢に、私は強い共感を覚えた。

とはいえ、決断は簡単ではなかった。
東京での生活を捨てることになる。人とのつながりも、一からやり直しだ。
それでも本当に後悔しないのか、自問自答を繰り返した。

そんな中で、私は実家に電話をかけ、両親に相談した。
母は「帰って来い」とは言わなかった。
だが、私が東京の会社の話をすると、どこか声のトーンが沈むように感じられた。
直接的な言葉はなくても、その気持ちは伝わってきた。
私は、その微妙な変化が、ずっと心に引っかかっていた。

もう一つ、背中を押してくれた出来事がある。
中村先生との就職面談である。

ベンチャービジネスの権威である中村先生は、学生が銀行や大企業を志望すると、あまり良い顔をしないこともあると聞いていた。
ところが、私が福岡相互銀行に行きたいと伝えると、先生は意外な反応をされた。

「四島さん(頭取)のところか。ベンチャー育成に熱心な銀行だ。いいじゃないか。」

その言葉に、私は少し驚いた。
同時に、自分の選択が間違っていないような気がした。

最終的に決断を後押ししたのは、いくつかの理由が重なった結果だった。
中小企業に関わりたいという思い。
地元で仕事をしたいという気持ち。
母の存在。
そして、中村先生の一言。

そうして私は、福岡に戻ることを決めた。

卒業式を終え、三月末。
福岡へ帰る日、初台で世話になった「ねえちゃん」が羽田空港まで見送りに来てくれた。

飛行機に乗り込み、窓の外を見ながら、私はしばらく動けなかった。
気がつくと、姉ちゃんとその子(当時3歳)との別れで涙が止まらなかった。
『ありがとう。』

東京での生活は決して長くはなかったが、その分、濃密だった。
慣れない土地で戸惑い、人との縁に助けられ、自分の進むべき方向を見つけた。
言葉では言い尽くせないほど、多くのものをもらった時間だった。

そのすべてを胸にしまい、私は福岡へ戻った。

そして、福岡相互銀行へ入行する。
ここから、私の銀行員としての人生が始まることになる。